全方位対策
おそらくは見えにくいだけ、その中の多くは意図的に隠そうという意思が働いているから見えにくくなっているだけで、学校現場には「いじめ」が溢れています。いま注目が集まっている滋賀県の件は、氷山の一角の一角の一角ぐらいでしょう。すでに地球上の人類は、とりわけ平和な日本で暮らす人々は、種の存続という根源的な(=種全体に影響が及び、かつ長期的な)本能が呼び起される必要が無くなっているはずですが、それがなぜかごく狭い影響範囲で、かつごく短期的な欲求として、他者を貶めることで自グループの優位を獲得するという方向に暴走したもののひとつが、「グループによる個人へのいじめ」だと思います。このような本能の暴走は、多くの場合は自我の確立とともに治まりますが、自我確立過程の途中にある児童・生徒の集団においては、いじめの発生は絶えず起こることになります。法律上の成人でも自我が確立できていない人がいますが、そういう人は多くの場合トラブルメーカーであり、酷い場合は明確にルールを破り、いわゆる犯罪者となります。
長期的な想像力を獲得した人類は、長い年月をかけて、そのような暴走を抑制するためのルールを構築し、絶えず改良を続けてきています。いわゆる憲法や法律や条約といったものです。現場の状況の変化が速く、ルールや手順の改良が追い付かないのは、その構築過程から見れば当然ですので、先人の知恵たるルールや手順の本質を理解し、その本質に沿って現場レベルで絶えず改良を加えていくことが重要です。現場での改良を経て、特に優れたものが、全体のルールへと昇華していく形が自然です。
各学校現場の先生方の多くは、絶えず発生する「いじめ」の解決に工夫を重ねていることと思います。その中で、最近 twitter でたくさんRTされていた内容がとても良かったので、ここでも紹介しておきたいと思います。(内容自体は3年前のものです)
先日、あるいじめ関係のシンポジウムにパネラーとして参加しました。
その席上、長野県の中学校の先生が実践されている「いじめ対策」は、目から鱗が落ちる素晴らしいものだったので報告したいと思います。
それは、以下のような手順で行われます。
1 いじめの認知は、本人、親、友人の誰からの報告であっても、「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。
※ いじめ加害者やその親は「誰がそんなこと言った」と言いがちなので、教員側の対応を統一しておくことは極めて有効と思われます。
2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。
※ チーム対応は教員の一番苦手とするところですが、是非克服してほしいところです。
3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。
※ ここで、各加害者の発言に矛盾が生じます。
4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析を行う。
5 3・4を繰り返し追求することで、加害者に「いじめの事実」を認定させる。
※ 3・4・5は明日からでも実行できるノウハウではないでしょうか。「加害者に吐かせる」必要のある仕事(刑事に限らず税金徴収員等々)ではよく使うテクニックです。
6 事実を認めた加害者に対し「泣くまで」反省を迫る。
※ ここは教師の真骨頂です。中学生ともなると(特にいじめの加害者のような奴は)脅すだけでは、まず泣きません。そこで、刑事ドラマのカツどんに当たる要素が必要になるそうです。加害者ががんばってきたことの写真(部活動や体育祭・文化祭他)などを見せて、「なのにお前は、今、何をやってるんだ」みたいな感じで迫るらしいです。
7 いじめの事実を認め、「泣くまで」反省した加害者は、通常、被害者に謝りたくなるのですが、すぐに謝らせることはしない。
※ すぐに謝ると加害者が「すっきり」するからです。
8 少なくとも一週間の時間を置いて、加害者に謝ることを許す。
※ 被害者にとって、加害者から謝ってもらうことは大きな癒しになるという報告を別の会合で聞きました。
9 保護者を交えて、いじめの事実を報告する。
※ その際、加害者・被害者を実名で報告するのか否かは聞き漏らしました。
講演者だったヤンキー先生こと義家氏も、よほど感激したのかシンポジウム修了後、その先生や私がいるパネリスト控え室に挨拶に来て、「何かあったら何でも協力します」と言っていました。このような例が、蓄積されず、研究対象とならず、伝播していかず、「素晴らしい先生」の一実践の終わってしまうのが、教育界の最大の欠点です。そこを何とかしたいと痛切に思った一日でした。
いじめの被害者、加害者、対応する先生方だけでなく、双方の保護者、そして周りの生徒やその保護者に対しても有効に作用するのではないかと思います。生徒たちの自我の確立を促進することは間違いありませんが、願わくば周りの「大人」にも良い影響が出ることを期待したくなります。
加害者の暴走を抑制し、自我の確立を促進する立場であるはずなのに、それと反対の方向に逃げてしまう教員や保護者という大人たち。さらには、現場の状況を直接見てその本質を見極めようとしないばかりか、面倒だからと反対方向に逃げてしまう会議室の大人たち。そのような、加害者同様に自我が確立されていない「大人」への対策として。